執筆者 orior | 2026年01月06日 | 雑記帳
歴史家の長年の疑問として「豊臣秀吉の中国大返しが可能となったのか?なぜ毛利軍の追撃が無かったのか?」は良く挙げられます。明智光秀によって織田信長が討たれたという知らせが入った直後、直ちに毛利氏と和議を結び、秀吉軍2万の軍勢は備中高松から取って返し、約200キロ離れた山城国山崎の地で光秀軍と戦闘しました。その際に重要な伏線的出来事として「高松城の水攻め」があります。秀吉が、備中高松城を水攻めするための堤防工事で、農民などを動員し、「土嚢一俵につき米一升、銀百文」という高額な報酬を与えることにより、わずか12日間で城の周りの沼地に、高さ7...
執筆者 orior | 2025年12月30日 | 雑記帳
日本の戦国時代には「二兵衛(にえい)」と言われる、2人の軍師がいました。一人は竹中半兵衛、もう一人は大河ドラマにもなった黒田官兵衛です。二人とも豊臣秀吉に仕えた軍師でしたが、竹中半兵衛の方が少し先輩格にあたります。ただ、黒田官兵衛の方は秀吉を怖がらせた人でもあったようで、秀吉は「わしの後は、若しかしたらアイツに天下を取られるかもしれん。あまり大きな領地や部下を与えたら、反旗をひるがえすかもしれん。」と言って恐れたというような話が残っています。中国の漢の時代に、劉邦が「韓信にやられるのではないか。」と怖がっていたのと、同じ感じを受けたの...
執筆者 orior | 2025年12月28日 | カウンセリング
良妻賢母の鑑として、山内一豊の妻である「山内千代」が時折挙げられます。彼女は、安土桃山時代の浅井家家臣の娘で、父が討死した後、美濃の不破氏の養女となりました。その後、一豊の母に仕えて、その気性の良さを認められ、嫁に見込まれて一豊と結婚し、1585年に長浜城城主夫人となり、のちに大阪に居住しました。1600年になると、夫の一豊は徳川家康に従って会津に出陣していたのですが、千代は夫のもとに石田三成の挙兵を知らせ「自分は人質になれば自決する覚悟なので、心置きなく徳川家康様に忠誠を尽くすように。」と助言したそうです(「笠の緒文」の逸話)また、...
執筆者 orior | 2025年09月17日 | 生前葬(感謝の会)
「煉獄(れんごく)ってなに?」と、依然鬼滅の刃の映画が大ヒットした時に、よく質問されました。ローマはカエサルの時代、ゲルマン民族へのキリスト教の布教の際に、「イエスを信じる者は天国へ行くが、信じない者は地獄へ堕ちて二度と天国には戻られない」と言う伝道の仕方をしておりました。そうしていたところ、ゲルマン人から「ではイエスが生まれる前の先祖達は、皆んな地獄なのか?」と言う疑問があがり、伝道者達は苦し紛れに「イエス以前に亡くなったもの達は、煉獄という天国でも地獄でもない世界におり、子孫がキリスト教の信者になった時に、煉獄から天国へ上がれるの...