執筆者 西村 | 2024年02月08日 | カウンセリング, 雑記帳
「他人からどう見えるか」ばかり気にしすぎていると、人はいつの間にか「他人をどの様に操るか」を考えるようになっていくようです。多くの人は叱られれば反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないように気をつけますが、中には反省したふりをして腹の中では舌を出し、一向に反省しない人達もいるようです。政治家や立場が偉くなった人達に、こうした人が多いと思うのは私だけでしょうか。本来ならば社会的立場が高くなればなるほど「自分を律して他人の模範になるような生き方をしよう」と思うのが真のリーダーとして当たり前のように思いますが「他人を操って、反省したように見え...
執筆者 西村 | 2024年02月07日 | お客さまの声, カウンセリング
地位や名誉が高くなると平等と公平を忘れてしまう人達が一定の割合でいるようです。「一位とかビリとかを決めるのは良くない」「人間は平等だから優劣は無いのだから、成績で優劣をつけるのは間違っている」そんな声が時々、偉いと言われる人達から上がる時があります。果たして本当にそうでしょうか?一生懸命に練習した子供達と、何もせずに試合に望んだ子供達に、優劣をつけない事が大人のやる事でしょうか?努力して勉強した人と、全然勉強しなかった人が全て受かる資格などにどんな意味があるのでしょうか?「優劣をつける」と言うことは厳しいことかも知れませんが、例え敗れ...
執筆者 西村 | 2024年02月06日 | お客さまの声, カウンセリング
妖怪は信じても、天国地獄はあまり信じないと言う人たちが増えて来ているようですが、これも現代の教育環境が成せる技かも知れません。昔はお祖母さんに「そんなウソばっかりついていたら、閻魔大王様に舌を抜かれて地獄に堕とされるぞ」とよく脅されたものです。また「天国と地獄」の違いについても寝床で良く聞かせれたものです。小学校、中学校くらいでは「ゲゲの鬼太郎」も流行っていたので妖怪にも馴染みはありました。ですので、どちらかと言うと「地獄は死んでからのこと。妖怪は幽霊みたいな感じで結構自分たちの近くにいるもの。」そんな捉え方をしていました。しかし今で...
執筆者 西村 | 2024年02月05日 | カウンセリング, 自分史
機能快(きのうかい)とは「本来の機能を使い続けることで、爽快感を伴う時が生まれてくる」ような状態のことを指します。例えば山登りを始めて暫くすると息も苦しくなり足も痛んできます。しかし頂上が近くなってくると心が躍り、頂上に着いた頃にはその痛みや苦しみも忘れて「爽快感」すら感じてしまう事があります。同じように、筋肉は成長する時に筋肉痛を伴います。人の心も、痛み苦しんでいる時は辛いけれど、そこを超えると心の筋肉が付いてきて、同じような辛さにはへこたれなくなります。私達人間は本当に意味での「心の成長」を目指すのであれば、苦難困難を礼讃する必要...
執筆者 西村 | 2024年02月04日 | 感謝の会
つい最近まで、場所によっては今も、日本の何処かの村々や町でも行われているかと思いますが「お裾分け」。「ちょっと貰い物したので、お隣さんにお裾分け」「料理を作り過ぎてしまったので、ご近所さんにお裾分け」こんな日常が一頃は良くみられました。よそ様が作られた料理を楽しむなんて、今の世の中では難しいかも知れません。余程の信頼関係成り立っていないと、いや信用していても「友人のお母さんが作ったおにぎり」すら口に出来ない人たちもいるくらいですから…日本もだいぶ変わりました。もともと日本人は「おかげさま」と言う言葉をよく使いました。「あなたのお陰で私...