大切な人のことを本当に考えているなら

大切な人のことを本当に考えているなら

私の知り合いでラーメン屋さんを経営している方がおります。彼はお客様への挨拶をとても大切にしております。なぜなら彼には悲しい思い出があるからです。彼は中学3年生の時に、お父さんを交通事故で亡くしています。その交通事故があった日の朝、彼はお父さんと些細なことで口論してしまい、いつもなら欠かさず出かける時にお父さんに「いってらっしゃい!」と声を掛けるのに、怒っていたので声を掛けませんでした。いつもなら「ただいま!」と帰ってくるはずのお父さんは、その日以来帰って来ません・・・だから彼はお客様に、一期一会の思いで、お一人お一人に丁寧に挨拶するこ...
運動と知的吸収

運動と知的吸収

よくしたもので体がなまってくると、頭もぼんやりとしてきませんか?「知的な生活をしている人は、ちゃんと身体も動かしている。」ようです。作家さんでも、立て続けにヒットを飛ばすような方になると「ホテルに缶詰め状態」ではいられないようで、違うことや外に出てみたくなるようです。これは売れっ子の漫画家さんでも同じようで、合間を見つけてジムに通ったり、自宅にトレーニング室を作ったりしている方もいらっしゃるようです。やはり知的財産をアウトプットとしていく為には、身体のシェイプアップも必要となるようで、散歩やジョギングすると脳内が再度活性化され、情報の...
新時代の生前葬「感謝奏(かんしゃそう)」

新時代の生前葬「感謝奏(かんしゃそう)」

生前葬って言葉、考えてみたらおかしな言葉ですよね?生前にやるお葬式だから生前葬なのかもしれませんが、そもそも生前って言葉は「亡くなった後に故人に対して使う言葉」で「故人が生きていた時。」と言う意味だから、違和感を感じたのかもしれません。例えば「存命葬」「生きている葬(いきているぞう)」「ピンピン葬」とかの言葉の方が良い気がしてます。まあ、言葉はどうであれ、要は「生きて命がある時に、自分の人生の区切るをつけよう」と言うことではないかと私は考えております。 感謝奏(かんしゃそう)=感謝と言う楽器を、お互いに奏で、与えあう...
ありがとう、ごめんねノート

ありがとう、ごめんねノート

いつから書き始めたかはもう忘れてしまいましたが、毎日「ありがとう、ごめんねノート」なる変わった日記をつけています。とにかく毎日あった「感謝すべきこと」「謝らなければならないこと」をその方の顔を思い浮かべながら書き綴っていきます。例えば夕食に美味しい料理を作ってくれたら「今日は美味しいオムライスを作ってくれてありがとう。」娘を厳しくしかってしまった場合は「強い口調で怒ってしまってごめんね。」とか言うように、その日にあった出来事を思い出しながら感謝と反省をしていきます。私は、こうしたノートをつけることも終活の一つだと考えています。このノー...
ビデオメッセージはどうですか?

ビデオメッセージはどうですか?

「感謝の会」や「自分史」はハードルが高くて、経済的にも精神的にも厳しい!と言う方には『ビデオメッセージ』をご提案しております。ご自分自身がカメラの前に立ち、ご自身の言葉で今までお世話になった方々にメッセージを伝えます。「このビデオを皆が見ているという事は私は死んだという事だね。我儘な夫だったけれど、長い間本当に尽くしてくれてありがとう。お前がいたから私はこうして天寿を全うできた。お前には感謝してもし尽くせない。子供たちよ、甲斐性がないお父さんで何もできなくてごめんね。何もなくても、みんな健康に育ってくれてお父さんは本当に嬉しい。叔父さ...
人生を明るく生きていくために「感謝の会」も必要

人生を明るく生きていくために「感謝の会」も必要

「一寸先は闇」と言う言葉がありますが、なぜか「一寸先は光」と言わず「いつ嫌なことが起きるか分からない」的なマイナス思考なんでしょうか?これは本能的な思考によるものらしいようです。人でも動物でも、「いつ敵が現れても、いつ不意なことが起きても用心していれば大丈夫」と言う感じで防衛本能があります。しかし、その防衛本能も何かの理由で行き過ぎると、外的過敏症となり精神的に病んでしまいます。...