徳ある人

徳ある人

「徳」って言葉は最近では余り耳にする事が少なくなりました。しかし一昔前まではとても大切にされていたし「徳ある人」=「尊敬すべき人」でありました。それでは「徳ある人」とはどんな人の事を言うのでしょう。「どれだけ自分以外の人の事を思ってきたか」「その人を生かす方向、許す方向、慈しむ方向で、どれだけ他の人々の事を考えてきたのか」がその人の徳の総量となるようです。即ち、自分が生きてきた時間において「どれだけの時間、他の人々に愛を与える事を考えてきたか」と言う事になりますが「私は多くの時間を異性への愛を考え続けてきた」と言う人もいるかも知れませ...
愛の種子

愛の種子

愛が撒かれた時、様々な所でその愛は芽吹き成長して行くことでしょう。でも時には、その場で朽ち果ててしまう事もあるかも知れません。でも、それでも人は愛の種を蒔き続けてきました。それは「愛は発展に繋がる」と分かっていたから。「他人に善かれ」「社会に貢献したい」そうした想いがあるから、人は愛の種を撒き続け、愛を育んで来ました。それ故に愛が死んだ時、発展は抜け殻となります。愛が死んだ時、発展は人の住まない家となります。発展と言う名の他の建物の中に住まうのは、愛と言う高貴なる存在ですある事を忘れてはいけないと言う事でしょう。...
感謝と愛

感謝と愛

感謝の気持ちを持つには「自分がどれだけ生かされているか」を知る事が必要です。人はどんなに強がっても自分一人で生きて行く事は難しい。無人島で強制的に独りで生活をさせられない限り、現実的にたった一人の力では生きて行く事は出来ないでしょう。また感謝した事がない人には愛が分からないでしょう。「人を愛した事がないと言う人」は「人に感謝した事がない」人とイコールかもしれません。或いは「人を愛したことがないと言う人」は、人と言わず、天地万物に感謝した事もないでしょう。感謝と愛とは表裏一体です。「自らが多くのものを与えられる生かされている」と言うこと...
心の有段者

心の有段者

私達は日々、心があっちこっち絶えず揺れ動いております。まるで壊れた天秤のように。神様の目から見れば、私他の心が天国的な方に傾いているのか、地獄的な方に傾いているのかははっきりと見えているのでしょうね。その心の天秤と言う奴は、愛と言う分銅があれば天国に傾き、執着と言う分銅が沢山あれば地獄の方に傾いて行くようです。執着の重りを自分で取り去ることが出来れば良いのですが、なかなか簡単に取り除くことが出来ないと言うのが現状です。それならば、その重りを分銅を周りにいる人達が取り去ってあげれば良い。執着で、嫉妬心で、重く頑なになった心を軽くしてあげ...
真珠

真珠

真珠を創るアコヤガイにとって、最初から最後まで真珠は異物でしかありません。しかし彼らは、体内に入った異物を虹色に輝く真珠に変化させます。私達人間はアコヤガイ以上の存在であるならば、異物や変化をアコヤガイ以上に見事な真珠に輝かせる事が出来るはずです。異物を真珠に育てている時は、痛くて辛くて苦しいかも知れませんが、人生が終わる時に、その異物を真珠のように美しい想い出に変える事が出来たとしたら、どんなに幸せな事でしょう。「自分の人生の中にやって来た苦難困難はムダではなかった」と自信を持って振り返る事がきっと出来るはずです。真珠のような涙を流...
劣等感と嫉妬心

劣等感と嫉妬心

劣等感と嫉妬心の距離はかなり近いと言えます。ですので「劣等感を感ぜずして嫉妬心のみを感じる」と言う事は少ないようです。ある人に劣等感を感じると「私はあの人と比べるとダメだ」と落ち込んで行くタイプと、相手に対して激しい嫉妬心を燃やすタイプがいます。前者の場合、自分を必要以上に憐れむ自己憐憫の思いも、もちろん幸せな道へ続いていないでしょう。何故なら「私はダメな人間だ」と言う思いは、自分も幸せにしないどころか、その言葉を聞いた他の人の気持ちまで萎えさせてしまいます。また誰かに嫉妬する事で、自分が成長して、幸福になる事はないと言えます。「実力...