辞世の句

辞世の句

侍たちは、いつこの世を去るか分からないから辞世の句を用意していたと言います。侍ではないですが、私もそろそろそういう歳になったのかと実感してきました。wしかしなかなか考えが纏まらないですね…自分の人生を振り返って、短い句で表現するのは至難の業です。そう考えると昔のお侍さんは余程肝が据わっていたのでしょう。死を直前にして考えるどころか頭が真っ白になってしまいます。身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置きまし 大和魂  <吉田松陰>極楽も 地獄も先は...
メメントモリ

メメントモリ

最近テレビの宣伝でもやっているゲームアプリのことを伝えたい訳ではありません。メメントモリとはラテン語で「いつかは訪れる死を忘れることなかれ」と言う意味です。悲しい事ですが、どんな人にも死は訪れます。それも突然にやってくる場合があります。死は誰にも平等にやってくる以上、月日の違いはあれど仕方がないことでもあります。「だから好きなことをやってやる!」と言う人もいる事でしょう。でも「何故死ななければならないのに生まれて来たのか?」を考えた時に、ただ自分の好き勝手をやっただけの人生で本当に良いのでしょうか?他人に迷惑を掛けない人生であれば素晴...
いい人生だった

いい人生だった

自分の最期を迎える時に「ああ自分の人生は、いい人生だったなぁ」と言って、あの世へ行きたいものだと心から思います。「死にたくない」などと、周りの人達に迷惑をかけたり、ジタバタしたくはないですね。そうは言っても「死に対する漠然とした恐怖がある」と言う方は、少なくありません。死に対する恐怖を無くすには、徹底的に調べるしかありません。先人たちはその為の書物を多く残してくれています。本当の意味での終活は「死への恐怖を取り除く」ことに、そのおもむきを置くべきであると私は思っております。...
執着との戦い

執着との戦い

最期、この世を去るときに一番難しいことに「執着」があります。大抵「死を怖がる人の多くは執着するものが多い人」と言われています。命そのものに対する執着は勿論ですが、愛する家族との別れ、地位や名誉や財産への思い、本人自身の肉体への執着…こと細かにあげればキリがないことでしょう。でも、こうしたものはあの世には持って帰れません。お坊さん達は「三途の川を渡る時、身につけたモノが重ければ重いほど、川を渡るのに難儀をし、その重さで川に沈んでいく」と教えてくれます。この身につけたモノこそ「執着」そのものです。そうなると持って帰れるモノは「心」しかない...
片恋づま

片恋づま

「相思い(あいおもい)」で愛し合った夫婦二人が、永く連れ添ったけれど、伴侶との別れがきた時に、使う言葉「片恋づま(かたこいづま)」昔は夫と妻も両方「つま」と呼んだので、男の方は「片恋夫」女の場合は「片恋妻」と書き、両方「片恋づま」と読んだそうです。もうこの世には居ない配偶者を、いつまでも思い続けている人。自分もそう有りたいと願うばかりです。...