「山の中に庵を作り、その中に籠って悟りを得る」そんな人たちが今でも修行と称して(昔よりは少なくなりましたが)まだいらっしゃるようです。
しかし、おそらく独り人里離れで得た悟りは、浅いものではないかと私は思ってしまいます。
他人と言う存在を見て感じることで、人は自分を見つけることが出来るのではないでしょうか?
また「他人を見ることができない人、理解することができない人、分かることが出来ない人」は、自分さえも分からない人だとも思います。
他の人達の姿を見、他の人の心の在り方を見ることによって、「自分自身は、いったい何のために生まれ、何のために苦労して人生を生きるのか」を理解出来るのではないでしょうか?
私達は、他人と言う存在を通して、社会における自分の役割や使命を感じるようになっているようです。
従って「他人との出会いやコミュニケーションを拒絶する」と言うことは、「自分自身の人生を諦めてしまった」と言う事と同義なのかも知れません。