私も農業に携わった事がありますので、日本の食料自給率には関心がありますし、お米は大切だと思っております。
「お米は日本産じゃなければダメだ」
「日本の低い食料自給率をこれ以上下げない為にも、外国米を入れてはいけない」
と言う気持ちもよく分かりますが、もはやそうした思いは「信仰」に近いのではないかと思ってしまう事があります。
私もカルフォルニア州に住んでいた事がありますので、現地でお米を買った事があります。
「やはり日本産のお米は美味しいから高くても購入しよう」とわざわざ高額な日本産お米を最初は食べていました。
しかし、現地の友人に「カルフォルニア米も美味しいから食べてごらん」と言われ食べてみると思っていた以上に美味しい事を発見!
「カルフォルニア米はパサパサしていて美味しくない。」と言う思い込みは一瞬で消えていきました。
値段も日本産に比べると、当時日本で売っているお米の半額近い価格でした。
それからはカルフォルニア米にハマりました。
自分の中で「米は日本産に限る」と勝手に思い込んでいましたが、結局他を知らずに信仰のような思いで日本産米を支持していたのでしょう。
こうした盲目的な信仰にも近い「選択」は、私の日本産お米信仰に限らず、どなたにも存在するように思います。
「この仕事は、こうでなければならない。」「これは、こうあるべきだ。」「昔から決まっていることだから今更変えられない。」
自分の決めつけで勝手に思い込み、本当は無限に広がる未来の選択を減らしているのかもしれません。