古代哲学である後期ストア派のエピクテトス(西暦55〜135年頃)は奴隷でした。その為、主人から毎日のように殴る蹴るの暴力を振るわれいました。

これに対しエピクテトスは「主人が自分に対して、悪口を言ったり、暴力や危害を加えたりするのは向こうの自由である。それについては自分はどうすることもできない。ただ自分の魂の領域、心の領域については、100%自分のものであり、それについてどう思うかと言うことは、完全に自分自身の問題である」と考えました。この様な奴隷の身分でありながら、内心の自由、魂の自由を100%求めた哲学者としての生き方が、2000年が経っても未だに読み継がれているのです。

現代は如何に生活が苦しく、借金があろうとも、家庭内騒動があろうとも、会社が潰れそうであろうとも、奴隷の生き方よりはましである筈です。かつて奴隷であっても、自分の心を100%支配しようと努力した人が居たのですから、現代人は奴隷の身分ではないし、転職もできれば、家庭を立て直すこともできます。道はたくさんある時代です。そのように考えたならば、あまり物事を深く悩みすぎることは問題があると言えないと自分に言い聞かせています。「国際情勢やどうにも変わらない社会的ルールや組織的な強制など、自分の自由にならない事はどんなにあがいても直ぐには変わらないことならば、一旦そういうことは棚に上げよう。それよりは自分の裁量で変えることが可能なところに注力して行こう」と常々考えております。「他人や環境は変えられない。変えられるのは自分の心だけ」と言う事なのですね。