「イド」と聞くと「井戸」を思い浮かべる方が多いかと思いますが(ある意味、関連があるかも知れません)今回はフライトの深層心理学のお話です。
彼は人間の根源的エネルギー源は性的欲求であるとし、それを「リピドー」と呼びました。
そのリピドーの貯蔵庫を「イド」と名付けたのです。
このイドは完全に無意識下にあるため、外界との接触はありませんが「自我(エゴ)」を通して、その意識を投影することになります。
しかし、自我は「如何なる行動が社会的に承認され得るのか」を学びとる力があるため「社会的に許され、尚且つイドの衝動をも充足させる」方法を選ぼうとします。
その際の判断基準を「超自我」と呼びますが、これは「良心」とほぼ同義語と思われます。
つまりフロイトによると「私達は性的欲求と言うエネルギーを良心で抑えながら、そのエネルギーを他の欲求に転換して生活している」と言うことになります。
確かにそう言った部分はあるかもしれませんが、その性的欲求と言うものを「食欲、睡眠欲も含んだ本能的欲求」とすると、多くの方々に理解され易く、受け入れて貰えるような気がします。
人は本能的欲求が満たされると幸せ感を得ると言うことが知られています。
「美味しいものをお腹いっぱい食べる」
「ぐっすりと良い寝心地で眠ることが出来る」
「大切な人と愛情を分かち合える」
この3つが満たされた時、多くの人達が「幸せ」を感じます。
その欲求の割合は95%とも99%とも、学者によって数字は異なりますが、人間に限らず動植物の殆どがこの三大欲求で満たされます。
しかし、人はこの三大欲求だけでは100%満たされないが為に、様々な自我が働き、他社との間に争い事を起こします。
逆に言うと「三大欲求にだけ特化した生活をしていれば争いごとは起きない」という事にもなります。
そうした生活をした時代がありました。
その時代こそ1万年続いたと言われる縄文時代です。