人は本当に悲しい時には涙が溢れないようです。
それは「この悲しみをどう捉えたら良いのかが処理しきれず、思考が停止しているから。」だと言われています。
しかし思考が停止していても、何故か目から涙が出て止まらない事もあります。
自分の感情とは裏腹に、涙が溢れて来ることがあります。
この現象は悲しみの時だけではなく、感動した時にも同じです。
「涙は心の汗」と言った方もおられましたが、私は「涙こそ、心の鏡を綺麗にしてくれる水拭きの為に流れてくる水」と捉えております。
仏教では、こうした心の汚れを取り祓ってくれる水の事を法雨と言っています。
悲しみの時に溢れ出す涙も、感動した時に出る涙も、どちらも心を綺麗にしてくれる法雨なのだと思います。
法雨で綺麗になった心の鏡で自分を見たときに、一段と逞しく凛々しくなっている自分を発見する事でしょう。
綺麗になった鏡で他人を見たときに、皆んなの本当の姿が見えてきます。
鏡が綺麗になると、直感力が増してきます。
しかしながら偽物の涙は、心の鏡を水拭きしてくれません。
だから、どんなに流しても本当の自分も、本当の他人も映し出してはくれないようです。