この投稿が出る時には幾らか状況が良くなっていると良いのですが、今は米が市場に出回りにくくなっています。
買い占めることが出来る人たちは、自分達が食べていける何倍もの米を備蓄している様です。
今回のように何かが不足した時には必ずそうした輩が現れて来ます。
これは優越感から来ていると言われております。
「皆んなは、無い無いと困っているようだけれど、私はこんなに持っている。羨ましいでしょう。」
こんな気持ちは、まさに現代の資本主義の象徴と言えるのかもしれません。
「あの人よりも沢山ものを持っている。」
「あの人よりも高価で美しい物を持っている。」
こうした優越感に刺激を与える事で、資本主義は成り立っています。
また、この優越感は「物の備蓄」を促します。「自分の物」と言う思考を植え付けて行きます。
それ故に循環が滞ります。
物が滞ると、富めるものとそうでない者との格差が拡がります。
そうして争いが起きるようになります。
資本主義は常にこうした危険を孕んで成長しようとします。
しかし、縄文時代の様な循環思想型の社会では「自分のもの」と言う考えは有りませんでした。
「山も川も土地も、全て神から借りているもの。」
だから自分が所有すると言う発想が出て来ませんでした。
江戸時代では、生活が質素だったが故かも知れませんが、物を何回も修復して使う習慣が根付きました。
「物を大切に、最後までとことん利用させて貰おうね。」と言う感じで、循環型社会が出来上がりました。
これからは、優越感の社会システムが崩壊して、循環型社会へ移ろうとしている過渡期かも知れません。