人生の中では、多くの出逢いと別れが繰り返されます。
人との出逢いは、偶然もあれば必然もあります。
しかし別れについてだけ言えば、必然の別れが圧倒的に多いようです。
けんか別れ、死別、失恋、見解の相違…
何らかの理由があって別れの時が訪れますが、精神的な別れの場合は、怒りや嫌悪によって起こるものは少なく、むしろ「呆れる」ことに起こることが多いようです。
「怒りを通り越して呆れた」とはよく言ったもので、相手に対して期待していたが、その期待を裏切られることで「もうこの人に何を言ってもダメだと」と呆れ返ってしまうことで別れが訪れます。
それは「お互いの成長のタイミングが合わなくなったから」とも言い換える事が出来るのかもしれません。
どちらかの心の成長が著しい場合、若しくは心の成長が全く見られない場合は、お互いの成長格差は広がってしまいます。
その格差を埋めようと努力する方が大半ですが、やがてどうやっても埋まらない事を悟ります。
それが「呆れる」もしくは「諦める」と言う気持ちなのでしょう。
「諦める」は決して悪い事ではなく、「明らかにする」と同意語であり、物事をはっきり明確に認識することで「手放す時もある」という事なのでしょう。