「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」とは宮本武蔵の著書である「五輪の書」に記された言葉です。
ここから鍛錬という言葉生まれました。
「千日程度の稽古では鍛えたと言うことにしかならない。万日続けて、ようやく鍛錬したと言える。」
と言うのだから剣の道は厳しいものです。
100歳近く生きたとしても3万日程度しか生きられないのですから、人生の3分の1程度を同じ道で極めなければ、錬士とは言えないと言うことです。
人生においても同じように、精神を鍛錬したと言っても、せいぜい二十年では一万日にも届きません。
成人してから三十年近くの年月を費やし、ようやく50才近くなってさえ一万日は超えません。
故に「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」とは、心と身体の鍛錬にかかる時間の長さを顧みて、「人生は厳しい修行だけれども、過ぎ去ってみれば短いぞ!」と言っているのではないかと思ってしまいます。
それほどに、習慣の持続を怠れば、何事も会得できずに、この世を去ってしまうと言うことですから、人生とは長いようで短いと言えます。