「私はこうして成功した」「私はこれで、お金持ちになった」「私はある時、神から言葉を受けたから、こうして皆んなに説法している」と言っている方々がいらっしゃいます。
しかしながら、本当の意味で「悟っているのか?」と問われたら、甚だ怪しいと思われます。
「自分を大きくする者ほど小さき人であり、自分を小さき者と思う人ほど大きな人物である」と聖書にも書かれている通り、心狭き小人ほど自分を大きく見せたがるものです。
「自分にとって、本当に大切なものは何なのか?」を暗闇の中で探している状態が私達あるならば、一本の蝋燭の火が灯っているだけでも「本当に大切なもの」を見つけ易くなります。
この蝋燭の火こそが「悟り」であり「真理」と言われるものであると思います。
その蝋燭の火を、他の人に与えてあげる事が「愛」であるとするならば、それは「真理の伝道」と言い換えることもできるでしょう。
「そんなことは偽善者のやることだ」「何か裏があるに違いない」その様に捻くれた考え方をする人もいるでしょう。
そう言う人は、手探りで暗闇の中を歩き続けてみればきっと分かります。
運が良ければ、生きているうちに蝋燭の火の有り難みがきっと理解できるはずです。
運が悪ければ、死後も暗闇で彷徨い続けることでしょう。
それでは可哀想だからと思って、愛を与え、真理を与え続けている人たちが、あなたの周りにもきっといらっしゃると思います。