男性として、女性として生まれ、雌雄両性で生まれて来ない理由には、それなりの訳が、きっとある筈でしょう。
でなければ、ダーウィンの言う進化論も危うい説だと言えます。
今の学者さんたち言われる通り、ホモ・サピエンスの時代が30万年前から始まり、この間に人間において性の違いが必要とされないのであれば、雌雄同体の人間が多数出て来てもおかしく無い筈です。
しかし現実は、化石等でも雌雄同体人間が沢山存在したと言う証拠は出て来ていません。
という事は、少なくとも人間において、雌雄同体は進化において必要では無いとされている証拠でもあるでしょう。
肉体的な性別については、こうした議論で何となく納得いくところもあるかも知れませんが、心や魂の問題となると、そう簡単には行きません。
「男性と言われることに違和感を感じる。女性である事が耐えられない。」そんな感情を持つ方にとっては「肉体的進化論」など、何の意味も持たないからです。
そうした方には、やはり「生まれ変わり」と言う、魂中心の考え方が重要ではないかと思われます。
リーンカーネーション(転生輪廻)の理論からすると、人は何度も違う性で、違う場所で、違う時代に生まれて、魂を磨いています。
その時に、暫くぶりに女性から男性に生まれ変わった方や、男性で生まれ変わってばかりいた方が、女性として久し振りに生まれた場合は、自分の性に対して違和感が出ることもあることでしょう。
「この身体と心に何とも言えない矛盾を感じる」そうした感情になることは、容易に想像がつきます。
何事にも慣性の法則が働くとするのであれば、当然「性」においても、働くことは間違いないからです。
しかしながら、何らかの意図をもって、今世その性で生きると決めて産まれてきた以上、やはり生まれながらの性を全うすることが、その方の人生において大きな収穫が得られるのではないかと考えてしまします。