「世界の中で、無宗教と言われる国は日本も含めて数国しかない」と言われていますが、それは国が国教を持っているかどうかで、見ているからそうなるのでしょう。
日本は、何処かの国のように宗教を否定している訳ではありません。
いや寧ろ「信教の自由」は保証されている民主的な国家です。
だからこそ、宗教戦争に対しては否定的な目で見ることが出来ます。
しかしながら、その自由な日本においても「新興宗教は怪しい」と言う見方は根強くあります。
ただ、仏教もキリスト教も、ユダヤ教もイスラム教も最初は新興宗教でした。
既存の宗教に対して、それに抗う形で現れた宗教でした。
従って、新興宗教が全て悪いとも言えず、長い歴史の中で取捨選択されて、結果的に残った宗教が、現代において〇〇宗教として存続しているのです。
しかし、その何百年・何千年と存続されてきた宗教であっても、その教祖がこの世を去り、弟子たちが運営するようになると、どこそこに「ほころび」が生まれ始めます。
その「ほころび」が、宗教間の戦争を起こし、人々に不幸の種を植え付けます。
言い換えてみれば「弟子達の戦争」です。
教祖同士で話をすれば、いがみ合う事はないでしょう。
お釈迦様とイエス様が争いを起こすことは、だれしも想像できないことでしょう。
なぜなら、そんな教祖でしたら、愛や反省、神の言葉を代弁することは出来ないからです。
宗教が悪いのではなく、その組織が悪いのであって、教祖が悪いのでもないと言う事です。
ただ教えが風化して、時代に合わない事があるので、それを糺そうとして新興宗教がいつの時代にも興きてくるのでしょう。