若い人達は「おべんちゃら」などと言う言葉は、もう使わないかもしれませんが、いわゆる「お世辞」と言うやつです。(笑)
「綺語(きご)」とも言いますが、飾り言葉のことです。
本心から思ってお世辞を言っている分には、自分も相手も傷つきませんが、「おべんちゃら」のように「損得勘定」あって「相手を持ち上げて何かを得よう」としている場合は、そのしっぺ返しは必ずやって来ます。
相手側も、それが本心か本心じゃない位は分かっていますので、「こいつは嘘つきだ」という認定になり、「おべんちゃら」を使う人を信用しなくなります。
お世辞も、人間関係の潤滑油として使っている内は良いのですが、行き過ぎると逆に人間関係を壊して行きます。
身体に良いものであっても、食べ過ぎれば害が出て来るように、おべんちゃらやお世辞も使いすぎると毒になります。
しかも、その毒は相手を蝕むだけでなく、自分を根本から腐らせてしまうので、「正語」(正しいことを語る)が仏教における反省行として大切にされているのでしょう。