経営の神様と言われた松下幸之助氏は、その著書のなかで「人間には、信仰の本能がある。」と述べています。
彼の言う「信仰の本能」とは、一体どういう事を指すのでしょう。
世界各地には、様々な民族が色々な歴史観、宗教を持ちながら生きています。
その共通するところは「人間は生まれつき、何か偉大なるもの、いわゆるサムシング・グレートを信じる心を持っている。そう言う本能を持っている。」と言えるのではないかという考え方もあるのです。
要するに、子供が親を信じ敬うように「自分の創り主、あるいは生みの親は誰であるか?」ということを求め、それに憧れる気持ちが人間の心には宿っているということです。
私達が、こうして存在しているということは、自分には親がいた事を意味し、そのまた親、そのまた親と遡って行くと、究極的な親に辿り着きます。
その究極の親こそが、サムシング・グレート(偉大なる何か)となるのでしょう。
従って、私達が本能的に親を大切に思う気持ちがある様に、人間には自分を創造した創造主に対する敬う気持ちがあっても当然だと言えのです。
これを松下幸之助氏は「信仰の本能」と呼んだのでしょう。