「お金持ちになりたい!」とか「海外旅行にいっぱい行きたい!」とか「家や車を持ちたい!」など、私達には様々な欲望があります。
これを単に「欲」と片付けてしまったら、私達の成長も止まってしまいます。
欲があるから、頑張れますし、努力も出来ます。
欲望は、生命あるものにとっては当たり前にあることですし、これは動物、植物も例外ではありません。
その欲望が「富の本質」をよく表している様に思います。
例えば、植物は葉の中に栄養分を蓄えようとします。
それは自らの仕事を成すためです。
では植物の仕事とはなんでしょうか。
一つには「花を咲かせる」という仕事もあります。
また「子孫を遺す」という仕事もあります。
それ以外に、花としての存在を保っていること自体が「地球の環境を守り、人間たちに生活環境を与える。」という、素晴らしい環境づくりの仕事にもなっています。
こうした理由によって、植物が葉の中に栄養分を蓄えることは「善」とされます。
球根を作って地下に養分を蓄える植物もありますが、これを「悪」と言う人はいないでしょう。
仕事を成していくためには、十分な「栄養」あるいは「基礎力」、すなわち体力や知力や財力など、様々なものが必要です。
こうしたものを蓄える行為こそが、「富の本質」と言えるのだと思います。
つまり「富とは、より大きな、より素晴らしい仕事を成し遂げるために、どうしても必要な基礎力である。」と言えるのではないでしょうか。