「あの人は、本当に良い人なのに、幸せに縁遠い」と言われる人が時々いらっしゃいます。
意外とあなたが、そういう人なのかも知れません。
こうした人の特徴は、「人に対して誰にでも優しい」と言えるのではないかと思います。
悪いことではないし、寧ろ周りの人からすると「側にいて欲しい人」なのですが、どんな人にでも優しいと「慈悲魔」になってしまう可能性もあります。
「あの人は、明らかに正義に反する人だ」「裏表があって、周りの人を混乱させる人だ」そう言われる人達に対しても、慈悲魔は「私が助けてあげなくて、誰が彼等を助けてあげられるの」という気持ちで、彼等に手を差し伸ばしてしまいます。
すると、彼等は救いの手を差し伸べられたことを良いことに、その人達に更に甘えて依存します。
こうした人間関係を客観的に観ていると、手をさし伸ばす人も、助けられる側の人も、どちらも同じような姿に見えてしまいます。
つまり、慈悲魔は悪を助長し、助けられている側のマイナス要素とイコールになってしまうのです。
自分は悪を犯していないのに、支援しサポートする事で、同じ罪を背負うことになります。
本当に優しい人は、厳しさも併せ持っています。
その人が立ち上がって正しい道を歩む為には、自分が鬼になって叱らなければならない、関係を断たなければいけない事をしっかりと認知し、行動します。
愛にも、慈悲にも、厳しさが伴うという事です。
しかし、その内には「深い愛」と「広い経験と知識と智慧」が存在しています。
だからこそ、単なる慈悲魔とは大きく異なるのです。