「人を愛そう。愛を与えよう」としている人は、総じて人が良い優しい方が多いでしょう。
でも、愛深き人が優しいだけで弱いと、その人が与えた愛の想いが広がらないこともあります。
例えば「この人は、このままだと悪いことをするに違いない」と分かったとしても、人が良い故に、その悪を止める事が出来ないとしたら、それは「分かっていたのに止められなかった」と言う罪になります。
このままだと、この人は必ず罪を犯し、多くの人を傷付けると分かっているのであれば、その人の将来のために「そんな事をしてはいけない!あなたの言動でどれだけの人が悲しむのか分かっているのか!」と厳しく叱責し、止めなければなりません。
その相手が、例えそれが自分の上司や親兄弟であっても、大会社の社長や部長であろうと、医者や弁護士であろうとも関係ありません。
その人が罪を犯そうとしているのに、見逃す事は愛ではありません。
そう言う事は、どんな場面でも出て来る事でしょう。
その時にこそ、智慧と勇気を持って愛を与えられるかどうかが試されているのです。
愛は時には厳しさも伴うという事をお釈迦様もイエス様も何度も説法されていました。