知を愛する人たちの事を「愛知者」と呼びます。
この知とは「真理や善や美を知る」ということになります。
「真実を知る事が出来たら最高である」と言う考え方ですが「真実を知ると言うことは、愛することと同じ」と言う考え方です。
「知ることが愛することと同じ?」
そう疑問に思われた方もいらっしゃることでしょう。
例えば「相手を理解することが出来たら、相手を愛することができたと一緒。相手を理解できない時は、愛することが出来ない。」と言ったら、あなたはどう感じますか?
「いや、相手を理解したら余計に嫌いになった」と言う方もいらっしゃるかも知れませんが、愛するの反対が「嫌いになる」事ではありませんよね。
相手のことを知ったから「この人は理解すればするほど、本当に良くない人だ。悪人だ。だから嫌いだ。」となったのでは無いでしょうか。
相手の心の在り方が善ではないと知ったから、嫌いになったのではないでしょうか。
結局、あなたは「悪が嫌いで、善が好き」と言うことを認識していると言えます。
「理解する」とは「知る」ことです。
人を知るとは「人を愛した」と同義語になります。
しかし「人を好きになる」と「人を知る」とは同義語ではありません。
従って「知る」「理解した」と言うことと「好き嫌い」とは関係ありません。
「人を愛する」と「人を好きになる」と言うことも、同義語ではありません。
従って「人に優しくしたり、愛情を与えることが、好きとか嫌いとかの感情を超越していると言う」ことが理解できる方は、「心がとても美しい人」と言えるのではないかと思います。