恋人でも夫婦でも、愛がテーマになって、盛り上がることもあれば、悩みになることもあります。
こうした時に「愛って何なの?」と他人に訊いてみたくなる事もあったでしょう。
私は「愛ってなんなの?」と訊かれたら、「理解すること」と答えるでしょう。
相手を理解する事で、愛したことと同じことになると、私は思っています。
「私は愛されていない」と思う時は「私のことが全然わかっていない」と憤ることが大半だからです。
また、相手のことに関心がなければ、愛する事も出来ないし、たとえ「愛しているよ」と言われても、本当の愛情は感じません。
つまり「愛とは理解すること」であるから、その理解度によって「愛情の深さ」も変わります。
表面的な理解度は、表面的な愛となり、相手のことを心底思って相手に接している方は、本当にその人の事を愛していると言えるでしょう。
だからストーカーのような一方的な行動は、相手の気持ち、相手の立場に立っていないので、「愛している」とは言えないのです。
本当に相手のことを思いやり、理解していたなら、相手が嫌がっている事も必ず理解出来るはずです。
それが理解出来ていないのであれば、それは愛ではなく「執着」であり、トリモチのようなベタベタとする「迷惑極まりない感情」であり、愛とは真逆のモノであります。
そうしたことが分からないという事であれば、永遠と本当の愛を見つけることは出来ないでしょう。