江戸の中期「葉隠」に書かれた言葉ですが、多くの方々に誤解されて解釈されているようです。「主君のために、大義名分のために命を捨てることが侍である。」と思っている方が今では多いのではないでしょうか?しかし、この言葉を言った肥前国佐賀鍋島藩士「山本常朝」の真意は別のところにあります。

人生は普通に行けば三万日、長くても四万日も生きられる人はそう多くありません。三万枚の葉っぱが木から落ちていくように、毎日毎日一枚ずつ散っていきます。この葉っぱが落ちていく状況は、どんな人にも平等であり、罪人であろうと聖人君子であろうと変わりません。逃れることが出来ない運命です。しかし、その三万枚の葉っぱが、ゆっくりと1日1枚ずつ散ってくれるとは限りません。地震や台風、洪水や津波などであっと言う間に蹴散らかされて、命の葉っぱを奪ってしまうこともあるからです。だからこそ、「今この時を大切に生きる」「いつ死んでも悔いが無いように生きるという事」が大切であるように思います。

『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』とは「武士とは、死に急ぐのではなく、どうしても死を免れない際には、潔く自分の死を受け入れるジタバタしないものだ」と山本常朝は伝えたかったのではないでしょうか。