世界中に多くの宗教が存在しておりますが、多くの宗教が「お願い宗教」と言われています。
「どうか私の病気を治してください。」
「どうか私を貧乏生活から救ってください。」
「私の願いを叶えて下さい。」
この様な感じで、自分や周りの人達の救済と願いを叶えてあげることで、拡まって行った宗教が多いことも事実です。
謂わば「他力信仰」ですが、こうした考え方が行けないわけではなく、宗教は他力の思想がないと成り立たない面もあります。
辛くて苦しいこの世の中を生きて行くには、誰かに頼ることは、決して弱者のみの行為ではないからです。
しかし仏教は、この他力信仰も含みながらも「自助努力」の精神を強く打ち出しているところに、他の宗教とは違う特徴があります。
「縁起の理法」がまさにその良い例で「良き原因を創れば良い結果が得られる。悪い原因を創れば悪い事が起きる。これは宇宙の理法、真理である。」と説いています。
これは言い換えてみれば「正しい自助努力を行っていれば、必ず正しい結果を得られる。」と言うことでありましょう。
但し、釈尊は「たとえ、この世でその正しい結果を得られなくても、あの世でそれが報われる。」とも仰っていますが、ここで「あの世が存在する」という信じる力が必要となってくるのです。
「あの世なんか無い」そう考える人たちは、そもそも正しい自助努力を無駄なことだと思ってしまうところが、この部分にあるのです。
「あの世があると思うから、人は死と迎え合える」のに、あの世がないと思っていたら、この世の努力は全てこの世で完結しなければ不公平になってしまします。