今日は少し哲学的なお話しをいたします。
目の前に赤いバラがあるとします。
あなたは、まだ言葉を喋るかどうかの小さな子供だとします。
あなたは、その赤いバラをみて、何と言葉にするでしょう?
あなたは未だ小さな子供だから、きっと言葉では表現できないけれど「そこに何かが有る」ことは認識しているはずです。
「赤いバラ」という言葉は知らないので、表現できないけれど認識はしている。
これが「純粋経験」と言われるものです。
お母さんに「これは赤いバラだよ」と教えられて、初めて「そのものの色」が「赤い」と表現され、「そのもの自体」が「バラ」と表されることを知ります。
そして、ようやくそれが「赤いバラ」であると、言葉に出来るのです。
禅の公案の中に「ひと一人いない山の中で、木が倒れてガサッと倒れた音は、存在するかしないか?」と言うものがありますが、科学的にみれば、森の中で木が倒れたら音は出ているでしょう。
しかし、それを聞く人がいなければ、その音は無いのと同じです。
例えば、山の中に綺麗なスミレの花が一輪咲いているとして、目で認識して美しいと感じることが出来ても、実際に「美しいと思える心」が無かったら、実際には存在しないのと同じことだと言うことです。
私達は宇宙の中に地球という星があり、その星で暮らしていると認識していますが、未開のジャングルの中で宇宙も知らない人たちからすると、宇宙は存在していても「無きが如し」と言うことになります。
これが唯物論に対する、唯心論の考え方です。