近くに、戦後80年経っても今だに「戦争責任」などを問うている国々もありますが、それを言い始めたら「人類の歴史は戦争で彩られている」と言われる通り、キリがなくなります。
ユダヤ人が奴隷だった事を「許せない」と未だに恨んでいたら、その人達はどう思うのでしょう。
紀元前1,300年頃の事を、ずっと恨んでいるとしたら「何をそんなに過去に縛られているの。今を大事に生きようよ。」と言いたくなりませんか。
でも、私達は知らず知らずのうちに「過去に生きる人」になっていたりします。
「あの受験に失敗したから、今が不幸なんだ。」とか「親がちゃんと自分に愛情をくれなかったから、自分はまともに育たなかったんだ」とか「あの人に振られたから、今の自分は恋愛に対して臆病になってしまった」とか、あげればキリがないほど、過去の出来事に縛られて、自分を萎縮させてしまっている人もいます。
有り難いことに、私達は時の流れによって「忘れる」と言う「才能」を持っております。
神様から与えられたこの才能は「未来を見つめるための才能」でもあります。
「どんな小さなことでも記憶している」と言うことは、現代においては素晴らしい才能のように思えるけれど、「あの人が自分に対して、酷いことを何年何月何日何時に言った」などと言う事を覚えていたら、それはそれで地獄のような苦しみから、逃れられなくなってしまう事でしょう。
「過去を、いつまでも振り返っていても前には進まない。過去の反省をしたら、今日からは違う人生を歩んで行こう!」そんな気持ちを持って貰いたいから、神様は「忘れる」と言う才能を私達に与えてくれたのでしょう。