中国には「木鶏」という話が今でも語り継がれています。それはこんなお話です…
鶏同士を戦わせる闘鶏という競技があり、その鶏達を育てる闘鶏士という役職もありました。
ある時、王様が良い鶏が手に入ったということで闘鶏士に鶏を預けました。
そして10日ほど経ったので、王様が「そろそろ闘わせても良いのではないか?」と問うと「いや、まだダメです。自分の力を誇示するようなところがあるから、闘鶏に出すにはまだ早い。」と闘鶏士に言われます。
また10日後に訊くと、今度は「まだまだ気負いがあって、自分が強いと思っているようだからダメです。」と言われました。
更に日が経って「今度はどうか?」と訊くと「今ならもう出しても良いでしょう。生きている鶏か木で作った鶏か分からないくらいです。王者の貫禄が備わりました。もう負けることはないでしょう。」と言われました。
そこで闘鶏に出したところ、相手が闘わずして、威圧されて逃げるほどだった…というお話しです。
「自分は東大を出た」とか「一流企業に勤めている」とかで自慢して歩いているうちは、人間としてはまだまだと言うことなのでしょう。
また「武道の達人だから負けない」とか、見るからに強そうな人も、「自分は強い」という気負いがある内は、本当に強いとは言えないのでしょう。
普通の人と違いが分からないと言うか、人混みに紛れても、それだと分からないような達人の方が、よほど強いのだろうと推測が出来ます。
何の世界においても「粋がっている」うちは、まだまだヒヨッコで、達人の域に入って来ると気負いが無くなり「普通の人」のように見えて来るというのは不思議な現象ですね。