西田幾多郎氏のことをご存知の方は、日本人あってもかなり少ないと思われます。
「善の研究」という著書がありますが、夏目漱石の「こころ」という小説の舞台となった時代の頃に書かれた哲学書です。
西田幾多郎氏は「純粋経験」という概念を創り出し、真理に踏み込みました。
「純粋経験」とは何かというと、「西洋的な個人主義に押し流されていく流れの中で、故人がみな自我を発揮して、自己実現に励んでいくだけが、近代あるいは現代の原理としての思想のあり方ではない。あくまでも個人というものはあるけれど、個人と呼ぶような個人があって経験し、思想が出来るのではなく、経験することによって、その経験が個人をつくるのだ。」
「個人が一体何を経験してきたか。経験を通じて、なにを精神的なものとして掴んだのか」と言うことが、実はあなたをつくっていると言うことを著書の中で言っています。
つまりは、私達は「私」と言う存在があるから「私」なのではなく、私が様々な経験をしていく中で、その経験が「私」と言う存在を創り出す」と言う考え方です。
なんか難しい感じがしますが、「宇宙の中に私しかいなければ、私と言う存在は本当に存在していると言えるのか」という事です。
「私と言う存在を認めてくれる人がいて、初めて私が存在するのであって、私と言う存在だけが宇宙にあったとしても、それを私が存在すると言えるのか?」という事になります。
時には、こうした公案めいたことを考えてみるのも良いかもしれませんね(笑)