稲盛和夫さんの塾では「お疲れ様ではなく、お元気様」を厳守していたと聞いたことがあります。
これは「お疲れ様」の「お疲れ」が、否定的なイメージに感じる事から来ているからかも知れません。
先ず最初にお伝えしなければならないのは、漢字は外来語なので、同じ発音をしている言葉を区別するために、漢字を当てたと言う歴史的事実があると言う事を誓いしておかなければいけないと思います。
一休和尚の話にも出て来ましたが、「このはし、渡るべからず」と看板がある橋を、どうやって渡るのかが逸話にもなりました。
「はし」を橋と捉えるか、端と捉えるかが、このトンチの答えとなりましたね。
同じ発音だと前後の脈略がない場合は、意味が伝わらない場合があるので、漢字やカタカナを使ったりしています。
「おつかれさま」も同様で、「憑かれる」や「突かれる」「浸かれる」など紛らわしく感じるために、「疲れる」から取ったようです。
お仕事が終わって同僚たちに「つかれましたか?」ですと、質問系になり余計に疲れるので、「今日もお疲れさまでした。」と労う(ねぎらう)言葉になったのです。
「疲れる」に「お」や「さま」が付くのは、相手を思いやる日本人の心が感じられます。
本来ならば「疲れ〜」でも良いのでしょうが、「お(御)」と「さま(様)」を付けて、相手の「疲れ」を「ありがたいこと」のように上げているのです。
従って、「お元気様」でも「お幸せ様」でもいけないのです。
日本人ならば「おつかれさま」なのです。
お読みいただき、おつかれさまでした。笑