「煉獄(れんごく)ってなに?」と、依然鬼滅の刃の映画が大ヒットした時に、よく質問されました。
ローマはカエサルの時代、ゲルマン民族へのキリスト教の布教の際に、「イエスを信じる者は天国へ行くが、信じない者は地獄へ堕ちて二度と天国には戻られない」と言う伝道の仕方をしておりました。
そうしていたところ、ゲルマン人から「ではイエスが生まれる前の先祖達は、皆んな地獄なのか?」と言う疑問があがり、伝道者達は苦し紛れに「イエス以前に亡くなったもの達は、煉獄という天国でも地獄でもない世界におり、子孫がキリスト教の信者になった時に、煉獄から天国へ上がれるのだ」と説明したのです。
つまり、煉獄はイエスが生まれる前(紀元前四年前)に亡くなった者全てが行く世界と言うことになります。
この思想には流石に無理があると、皆様も感じ取ることでしょう。
しかし、ローマ時代では斬新かつ画期的な考え方とされ、大いにキリスト教が広まりました。
ローマ軍という、最強武力勢力に後押しされたと言う部分は否めません。
その後の植民地の支配におけるシステムを見ると、はっきりと「武力+宗教」と言う図式が分かります。
大きな武力を背景に、先ずはキリスト教伝道者が現地に入り、民衆の間でキリスト教を広め、その後絶対的な武力で支配者層を制圧し、その国を植民地化する方法をとっていました。
日本にも、先ずはフランシスコ・ザビエルのような宣教者が入ってきて、キリスト教を布教し始めました。
それに対して、織田信長は宣教を認めましたが、そのシステムを知った豊臣秀吉はキリスト教を排除、弾圧して行きました。
(一説には、宣教師が日本人を奴隷として、何万人も異国に連れて行ったことに、豊臣秀吉は激怒した為とも言われています)
そう言った意味では、豊臣秀吉のキリスト教に成したことは、日本国を異国の脅威から守るために行われたことでもあったのだと言えるでしょう。