現代では良師(よき先生、良きメンター)との出会いは、とても難しいと言われています。
と言うのも、有名であるとか、フォロワーが多いとかで「良師ではないか」と錯覚してしまうところがあるからです。
必ずしも「人気があるから良師とも言えない」からこそ、ご自身の「人を見る目」が問われている時代とも言えます。
歴史を見渡しますと、どんなに暗黒の時代と言われていた時であっても、素晴らしい先生、師匠は存在していました。
ただ同じ時代に暮らしていると、「その人が良き先生だとは思わなかった。」というように、見過ごしてしまうことが多々あります。
お釈迦様が生きていた時代でも、イエス様が説法してしていた時代でも、周りに多くの人達は「その偉大さ」に気がつかなかったことでしょう。
当時、お釈迦様の素晴らしさ、イエス様の尊さに気が付き、師匠、先生として崇めた人達は数千人程度のごく僅か人たちだけでした。
おそらく、このお二人が現代に生まれ変ったとしても、数千万人、数億人もの弟子はきっと生まれないでしょう。
それほどに、人を見る目は難しいものです。
だからこそ、「見る目がない」と諦めるのではなく、「どうやったら見抜ける目を持てるのか」を考えた方が良い思うのです。
それには心の目「心眼」が大切になってきます。
心眼が一番能力を発揮している時が「赤ちゃんの時」です。
赤ちゃんの時は、言葉も喋れないし、自分で移動することもままならない。
だから、自分にとって害になると思われる人や場所に近づくと、心眼のセンサーが働き、泣いて知らせるのです。
要は、赤ちゃんの頃の心眼を取り戻せば良いのですが、それにはちょっとしたコツがあります。
それを日本の先人たちは知っていました。
そうしたことを教えてくれるのが「感相学」です。
