フランスでは、老人医療の基本は「本人が自力で食事を嚥下出来なくなったら、医師の仕事はその時点で終わり、あとは牧師の仕事です。」と言われているそうです。
残される人達が「自分たちの感情や別れる辛さの軽減のため、あるいは自己満足の為に、死にゆく人間に余計な負担を強い、無用な苦痛を味わせては行けない。」という考え方からでしょう。
自分の年齢が還暦前後になれば、親も80歳を超えていく世代の方が多くなります。
60歳を超えた自分たちであっても、昔ならば死んでもおかしくない年齢に達しているのに、親が死ぬことに関しては意識していないと言うのはさもありなんと言えます。
でも、だからと言って大抵の人は何かを行動する訳でもないでしょう。
「親が死ぬ事なんか考えたくない。自分が死ぬ事だって考えたくない。」そう思うことは何ら不思議な事ではありません。
だからこそ、生前葬が必要になって来ます。
自分や親たちに死を意識して貰うことは勿論ですが、子や孫たちにも「いつかは誰でもこの世を去って行くんだよ。」と言うことを教えてあげる意味でも、生前葬をすることで「死」を意識しながら生きて行く事ができます。
だから生前葬は1回だけではなく、何回やっても良いと私は思っております。
「お呼びする人に迷惑だから…」と言って生前葬を嫌がる方もいらっしゃいますが、お声がけをして嫌がる人を果たして友人と呼べるのでしょうか?
本当の友達ならば「何か考えがあって生前葬をやるのだろう。あなたがやりたいと言うのならば私は応援するよ!」と言うのが、本当の親友ではないでしょうか。
生前葬に参加することでデメリットなんてないのだから、賢い友達ならば必ず察してくれるはずです。