アンドレ・ジッドの「狭き門」には「力を尽くして狭き門より入れ」と言う言葉があります。
「広い門から入る人は沢山いるが、それは滅びに至る門である。狭き門より入った者のみが、永遠の生命を得る」と書かれています。
「狭き門」と言う言葉は、大学入試や高校入試に使われることが多いのですが「力を尽くして狭き門から入らなければならない」と言ういみには解釈していませんでした。
「なかなか入る事を許されない門だから、入れたらエリートになれる」そんな気持ちで、当時は捉えていたように思います。
ひと様の多くが「長いモノには巻かれろ」とか、そうでなければ、自分に利益がある方向に流れていくことが当たり前に感じていました。
そんな師匠に出会い修行をしていくと、段々と「やはり、自分はただ漫然と他の人が求めている流れから出て、難しいけれども人が嫌がる狭き門を目指して、命の門に至りたい」と言う気持ちになっていった様な気がします。
「命の門」と言っても難しい事ではありません。
簡単に言うと「使命に目覚める」という事です。
「誰もがうらやむ豪邸に住んで、格好いい車を乗り回し、毎日パーティー三昧したい。」そう思っていた時期もありました。
しかしそれは願望であって使命ではありません。
プール付きの豪邸が欲しいから、両親から命を授かった訳ではありません。
もっと根源的なことを成すために生まれてきた気がしました。
このブログをお読みいただいて下さる皆さんも、きっと何か崇高な目的の為に今を生きているのだと思います。