日本では、イスラム教についてメディアもあまり取り上げません。
ですので備忘録的に、このブログに記載しておきます。
コーランを纏めたイスラム教開祖のムハンマドの没後、イスラム国家の最高指導者としてアブー・バクルが初代カリフに就きました。
当時30代のアリーも後継者候補に上がりましたが、若年を理由に外され、ウマル1世が第2代目カリフとなり、その後ウスマーンが第3代目カリフに就任しました。
アリーが第4代目カリフに就任すると、ムハンマドの妻アーイシャ(ムハンマドの3番目の妻で、初代正統カリフのアブー・バクルの娘。スンニ派では預言者ムハンマドの最愛の妻とされ、ムハンマドの言行をよく記憶し、『ハディース』として伝えたとされている)ら反対派との争いが勃発しました。
そしてアリーは反対派の刺客によって暗殺されました。
イスラム教シーア派の国家であるイランでは、ムハンマドに連なる血統の最高指導者(イマーム)を重要視しており、イスラム教4代目カリフであるアリー・イブン・アビー・ターリブを「初代イマーム」としています。
その為に、スンニ派とシーア派が争う形となっているのです。
