「耳が聞こえる人は、耳が聞こえない人の気持ちは分からない」
「目の見える人は、目の見えない人の本当の気持ちは分からない」
このように言われることがありますが、真理についても同じように言えます。
一度でも本当の真理を発見し、理解した事がある人には、真理がどう言ったものかが分かりますが、真理という概念すら知らない人にとっては理解は出来ないでしょう。
この世において、明らかに間違っていることや、嘘をついている者に対する真実の探究は必要ですが、真実のものが現れて来た場合、最後はそれを信じられるかどうかという事も問われています。
これは「食べることが出来ます」と言われたとしても、自分が育て調理したもの以外は、一切信じないと言う事であれば、その人は飲食店で食事が出来ないどころか、スーパーで売っている物ですら信用出来ない事でしょう。
「信じる行為」と言うのは「信頼関係」があるからこそ成り立つものです。
真理においても「これは真理だよ」と捉えられるかどうかは、「信頼行為」によって成り立ち、これは一種の「信仰行為」でもあるわけです。