真理の探究には2つのベクトルがあると言われています。
しかしながら先生、師匠、メンターと言われる方々の多くが、このベクトルの一つしか指し示していない場合や、どちらかに偏っている場合が多いと言われています。
皆様ご自身の、先生やメンターを良く良く観察してみると、それが事実だとお分かりいただけるかと思います。
「真理探究の道は自分の内にある」と言って、ひたすら瞑想したり、難行苦行に打ち込む道場や教室もあります。
「自然こそが真理だ。自然から学ぶことが私たちの幸せに繋がる」と言って、自然や物質からの気やエネルギーを取り入れようとする集団もあります。
こうした行為は、お釈迦様やイエス様からすると「片手落ち」のような感じを受けることでしょう。
お釈迦様は、菩提樹の下で「宇宙即我」の悟り、つまりは「自分の心が宇宙大に広がって、宇宙が自分であり、自分が宇宙である。」という体験をしました。
宇宙という広大な世界に向かうベクトルと、内なる自分に向かうベクトルは、別物ではなく「握れば一点、広がれば無限」という悟りをお釈迦様は得ました。
イエス様は「隣人を愛せよ。自らを愛するが如く。」と説き、「自らの静かなる内側を見つめよ。さすればそこに神を見るだろう。父なる主は外にばかり居るわけではない。あなたの内にも存在する。」と仰ったと言われます。
本当の真理の探究者は「内なるベクトル」と「外に向かうベクトル」を両方探究して、内外一体である事を悟るという事でしょう。
