ソクラテスが『パイドン』の中で「知を求めると言うことは『死の練習』である」と語っていますが、これはなかなか理解し難い事であると思います。
私は「今日死んだとして、悔いの無い生き方をしているかどうか、自問自答して生きろ」と言われている様な気がします。
すなわち「あなたは今日死んだとしても『今までの人生を完全燃焼した』と言えるか。『今日一日、十分に使い尽くせた』と言えるのか?」と問われているのだと思います。
「死の練習」すなわち「死んだとして、どうだ?」と言うことを自分に問い続けると言うこと、それが結局、真理を求めた生き方になるわけであり、「死んだ後どうなるのか」と言うことを、今を知りながら、考えながら歩むことが、「哲学をする」と言うことなのかも知れません。