第三十三代推古天皇は女性天皇でした。
彼女は聖徳太子の父である、第三十一代用明天皇とは兄妹になります。
推古天皇の成した政(まつりごと)の成果は少ないですが、聖徳太子を摂政的な立場に置いたことで、日本は「言霊の幸う国」になったと云われています。
推古天皇の夫であった敏達天皇は、第三十代天皇でしたが、天皇継承にあたり様々な政治的権力争いが勃発し、常に命を狙われる緊張状態でした。
本来は、能力主義で天皇継承していく事が望まれてはいたかも知れませんが、能力主義の場合は「続かない」ということもあって、血脈で跡を継いでいく形の方が「安定性がある」とされて、今のような血脈重視の継承に至ったようです。
推古天皇を支えた甥っ子の聖徳太子は、兎に角優秀な人物であったようで、当時には「聖徳太子は、中国の天台大師の師匠である慧思の生まれ変わりではないか」という話や「いや、釈迦の生まれ変わりではないか」とまで云われたとされています。
そんな聖徳太子も、歴史の教科書から消されようとされているのは、左翼思想教育のなせる業と言えるのではないでしょうか。