嘘

「生きてきた中で一度も嘘をついたことがない!」と言う人は居ないでしょう。それでも、お釈迦様の時代よりも、もっと前から「ウソはいけないこと」と言われているのは何故でしょうか?「ウソで他人は騙せても、自分や神様は騙せないから、その罪は自分に返ってくるからだよ」と、よく祖母から聞かされていました。その祖母も若い頃、友達と両親にウソをついて辛い目に遭ったそうです。つまらない事でウソを言って親友に罪を被せて、先生や両親から怒られる事を免れたそうですが、その親友が事故で突然亡くなり、そのまま謝罪も出来ずに永遠のお別れになってしまったそうです。祖母...
作り笑い

作り笑い

この世の中は自分の思い通りにならない事ばかりです。自分の思いに反した事もしなければならない時もあります。「私はあの場所へ行きたいのに皆んながあっちへ行こうと言うから付いて行く…」そんな事も多々あった事でしょう。「皆んなは笑っているけれど私は全然おもしろいと思わない」でも作り笑いをして、その場を誤魔化したりもしたことでしょう。作り笑いが悪いわけじゃない。でも段々と自分という人間が、自分でも分からなくなっていく様な気がして、それがとても不安になるから…耐えられない。自分の心に素直に生きるって簡単そうだけど、とても難しいです。素直に生きたが...
人の役に立ちたい

人の役に立ちたい

「他人のお役に立ちたい」と心底から思っている人が、世間の草木の中で埋もれることはないと私は思っています。お役に立ちたいと言う純粋な願いは、その想いが純粋であればあるほど他人を魅力していきます。他人に感化を与えていきます。従って、純粋な想いを持っているその人の声が、どんなに小さくて、中々世間に拡がっていかなくても、見ている人、聞いている人は必ず増えていく筈です。その拡がりは事業計画のようにはうまく行かないかも知れませんが、それで諦めてしまったら、その声は届くべき人に届かなくなってしまいます。だから「命ある限り、声を届けて行かなければ、自...
親の愛情

親の愛情

今では死語になってしまった感がありますが…私は「鍵っ子」でした。両親とも別々の仕事で自営していたので、幼い頃はいつも一人で遊んでいました。その時の感情までは思い出せませんが、当時は寂しいとは思っていなかったような気がします。その気持ちは、弟が生まれ、彼が話が出来るようになるまで続いていたかと思います。弟と遊べるようになって初めて「一人で遊ぶのは寂しい」と言う感情が湧いてきた気がします。私達の面倒を見てくれたのは、近所のおばさんたちだったので、直接の親の密接な愛情は受けていなかったかも知れませんが、両親が自分達を大切に想ってくれているの...
自己認識の変容

自己認識の変容

皆さんは「悟り」と言う言葉を聞いた事があるかと思います。ただ「悟りとはなに?」と訊かれたら中々答えられない事でしょう。「悟り」とは「自己認識の変容」と言い換えれば、まだ少しは分かりやすいかと思います。「それでもよく分からん」と言う方もいらっしゃいますよね、きっと。平たく言うと「これが自分だと思っていた事が、正しい方向に変わっていくこと」だと私は捉えております。つまり、人間として成長していく事とイコールと理解していただければ「なんだ、そんなことか」と思っていただけるのではないでしょうか。従って、その悟りに人それぞれのレベルの違いはあれど...