太公望と言うと釣り人のことを指すように今では言われていますが、元々は周の文王が引き立てた軍師の名前です。
文王が易者に占わせると
「狩に出たら獲物だけではなく王師とも言える大きな人財を得られるでしょう」
と言われ、三日間沐浴して狩に出掛けたところ、なかなか風格のある人が川縁で釣り糸を垂れていました。
文王は試みにいくつかの質問をしてみました。
するとその釣り人は
「魚を釣ることと国を納めることはさほど変わらない。釣りと同じで餌を与えないと人は採用出来ない。餌を惜しんで小さくすると小物しか掛からないし、餌を大きくすると大きな人物が釣れる。釣り方や取り込み方は政治の要諦と変わらない」
と答えたそうです。
そこで文王は「人財はこの人だ!」と連れ帰ったと言うことです。
その釣り人こそが太公望呂尚だったと言うわけです。
彼はその後軍師となり、宰相にまで登りきり、そのあと武王と成王にも使えた名宰相となりました。
大きな餌が何であるかは、その人によって変わるのでしょうが、人材の登用は幾千年以上前から変わっていないという事でしょう。