「哲学とは何のためにあるのか」という問いに対し、今の哲学者は明確な答えを持っていないかも知れません。
いや、もしかしたら「答えられない」のかもしれません。
もしソクラテスやアリストテレスが生きていたら「善を求めること」と答えたのではないかと私は推測します。
「善を求めること」という事が、結局は「幸福の基」であり、「人間が幸福になる」と言うことはどう言うことかと言うと「善を求めて生きる」と言うことに、繋がって行くのだと私は考えます。
「善を求めて生きる」その「善」とは何かを探究して行くのが「愛知者の使命」であるのでしょう。
「これが善である」と、そう簡単には見分けられないから、指導者、覚者、グル(導師)と言われるような「選ばれし者」が必要となってきます。
「善とは何か」を追求するのが「哲学の使命」であり、それを具体的な事例に当てはめて「この場合はどうですか?」と確認し、大体合意が取れるような事案まで具体化していったものを「道徳」「倫理」と言うのでしょう。