私達は物を測る時に、物差しなどの直線的な物で30cmであるとか1mであると計測します。
これが、地球の円周を実際に測るとなると大変なことですが、直線的に測っていたものが、今度は曲線となって現れてきます。
「直線であって曲線。曲線であって直線」
なんだか、ややこしい話ですが、これが「絶対矛盾的自己同一」と同じことです。
「現在の私はここに居るけれど、過去にもいたし、明日の未来にもおそらく存在するだろう」と想像はつきます。
では過去の自分は、現在の自分から観たら「自分」と言えるのか?
未来の自分は、果たして「自分」と定義できるのか?
そんな事を考えた人が西田幾多郎博士です。
おそらく、時間と言うものは「放った矢」のように、現在から未来へ向かって行くものであると思って生きていますが「その矢は本当に直線的に進んでいるだけなのか?」と思った時に、「過去に放った矢は実は曲線的に曲がっていき、時間の輪のように、また戻って来るのではないか?」と考えた人がいます。
いわゆる「タイムリング説」のように、「私達は時間と言う輪の中で、現在只今を生きているけれど、過去も未来も見ることが出来る人が存在するのは、時間がリング若しくはスパイラル状になっているからだ」と言う考え方も出てきます。
答えは私には分かりませんが、過去でもなく、未来でもなく、現在只今が、私達にとってとても大切な時間である事に間違いはないようです。