「あきらめる」と聞くとマイナスのイメージを持たれる方も多いかと思いますが、「あきらめる」が「明らかに眺める」から来ていると言うように「その人はそう言う人なんだから仕方がない」と思えば、イライラもしません。
他人が自分の思い通りな人にならないとイライラしてしまうので、そう言う時は「そう言う人だから今は気長に眺めていよう」と思えば、少しは他人を許すこともできようになります。
神様もきっとそんな気の長い目で私達人間を眺めて、成長を待ってくれているのでしょう。
何十年も何百年も何千年も…気の遠くなる年月を、ただひたすらに優しい眼差しで眺めてくれているのでしょう。