透明なガラスの器の中に、一滴一滴きれいな水を落として行く…
この水滴が人生における「経験」だと私は思っております。
若い頃の器に溜まっている水は、まだ外から見ても殆ど色が無い綺麗な水だけに見えることでしょう。
人によっては、歳を重ねる毎にその器の水が濁り、汚くなってしまう人もいるように見受けられます。
しかし、このガラスの器は自分自身でも見る事が出来ないし、他人からも見えないので、自分の器の水が綺麗なのか、なかなか分かりません。
それは経験も同じですね。その方がどんな人生を生きてきたのかは一見しても分からないように。
「私は法に触れるようなことはしていないので、きっと綺麗な水のままだと思います!」と言う人もいるでしょうが、法律に反する事をしていなくても、世の中や他人を憎み、他人を苦しめている人の器の水が綺麗なはずはありません。
もし毎日落ちる水が墨であれば、その一滴一滴はわずかな量ですが、やがて器の中の水を真っ黒にしてしまう事でしょう。
このように、毎日毎日の経験の一滴は、徐々にではありますが、その人の内面を少しづつ変えて行きます。
ですので、出来るだけ墨汁のようなドス黒い経験は自ら求めていくものではありません。
じゃあ、ドス黒い経験ってどんなことを指すの?
となりますが、私は「自分の良心に恥じる行為=ドス黒い経験」と考えております。
たとえ自分の器の水が真っ黒くなっても大丈夫!!
毎日毎日、綺麗な水を入れて行けば、いつかは子供の頃のような綺麗な水の溜まった器になりますので。
綺麗な器になると、何故か周りの人が寄ってくるようになるから不思議です。