「一日一生」は私のモットーとしている言葉です。私たち人間の寿命は通常であれば3万日から4万日と言われています。40歳の方は1.5万日弱、50歳の方は既に2万日弱を生きて来ています。そして今日も残りの1日が終わろうとしています。どんな地域に住もうと、貧乏でも金持ちでも神様から平等に与えられているものは「時間」です。どんな権力者がいたとしても1日24時間を36時間に引き延ばすことはできません。また他人の1日24時間を12時間にすることも出来ません。子供から大人まで平等に今日も24時間を精一杯生きています。

「時間」は平等に与えられておりますが、その使い方によって、ある人は幸福を感じ、ある人は悲嘆にくれ苦しんでいるというのが現実です。また同じ1時間でも、ある人にとっては長く感じ、別の人にとっては短く感じたりします。この差はどこから生じるのでしょう。

私は「今と言う時を心から楽しんでいるか」に関わってくるのではないかと思っております。私はディズニーランドだ大好きなので、時々家族で出かけたりしますが、入園から退園までの9時間余りがあっと言う間に感じます。そりゃあアトラクションに長い行列で並んでいると「大変だなあ」と思う時はありますが、そんな待ち時間もいざアトラクションを楽しめばスッカリ忘れてしまいます。ようは気の持ちようで人は同じ時間でも、長く感じたり短く感じたりするわけですが、概して「幸せなに感じる時間」は短く感じ、「苦痛の時間は長く感じる」ようになっているようです。ならば「幸せに感じる時間を増やせばいい」という事になりますが、現実はそう簡単じゃありません。

今日も嫌な上司と一緒に仕事をしなければならないし、クレーム処理のため怒られに行かなければならない。家に帰れば、妻や夫に怒られ、子供達には無視される。そうしたイヤな時を過ごすことも現実には多いことでしょう。でもそんな時に「日付が変わる0時には自分の命が無くなる」としたらどうでしょう。今日と言う日が終わるときに死んでしまうとしたら、あなたは何をしますか?

私たちは明日も今日と同じように来ると思っておりますが、もしかしたら地震や事故で明日が来るまでに死んでしまうこともあります。無差別にただ道を歩いていただけなのに暴漢に襲われたり、車に轢かれて死んでしまうかもしれません。それは誰にもわかりません。こうして書いている私自身も明日の命は保証されていません。だからこそ、1日を1時間を大切に生きていきたいと思うし、間違ったならばすぐに謝り、していただいたことには感謝したいと思ってます。でもそんなに上手く生きていけないから「一日一生」をモットーにして今日も生きています!