「男らしさ」「女らしさ」この言葉が現代では「性差別」と捉えられると言います。
どうしてそうなるのか私には甚だ疑問ではありますが、性差別を声高に語る人達こそ、強烈に性の違いを意識しているような気がするのは私だけでしょうか?
私は性の違いを意識していないせいか「男性だから…女性だから…」とか言う言葉は使いません。
私達の子供は3人とも女性ですが「女性らしく振る舞いなさい」なんて言う言葉は一度も使ったことがありません。
でも決して私が特別な訳ではないと思います。
様々な競技に男女の別がある事も当たり前と思いますし、女の子がスカートを履こうと履くまいと似合っていれば素敵なだと思います。
「なぜ女性の方が、男女平等を強く意識するのか分からないのは、あなたが男性だからなのよ!」と仰った女性がおりましたが、男性の部下を叱る時には「男ならしっかりしなさい!」と怒っておりました。
私はチャンスは平等に与えられるべきとは思いますが、結果については公平であるべきと思います。
結果の公平に対してまで差別と言うのであれば「とにかく走れば皆んな一等賞のリレー」「テストで点数差が付くのはおかしいから、みんな100点にしましょう」と言う世界になり、やがては努力も精進しない世界が現れて来ることでしょう。
その時こそ悪魔が「しめしめ上手くいったぞ」と笑う時です。
なぜなら悪魔自身が努力が大嫌いなので、努力をしない世の中を作れば自分の天下だから・・・