古今東西、賢人と言われる思想家は数多いらっしゃいましたが、数百年、数千年残る思想家は、ほんの一握りしか存在しません。
それだけの風雪に耐えてもなお「真理を語っている」と思われる賢人だけが、人類の進化に寄与し、人々の記憶残っています。
釈尊、イエス、孔子、ソクラテス、モーゼの様な宗教家、哲学者もいらっしゃれば、ニュートン、ダビンチ、アインシュタイン、エジソンなどの科学者、芸術家もいらっしゃいます。
彼らの共通点として一つ挙げられることは、「成長し続けてきた人生を送っていた」と言えるのではないでしょうか。
彼らの多くは人生の途中で、多くの名声や名誉を得る事が出来たかと思いますので、普通であればその名前の上に胡座をかき、とどまって人生を謳歌しても良いものを、彼らは貪欲に自分の成長を止めなかった、と言える人生を送ったのではないかと思われます。
それが証拠に、先ほどあげた賢人の皆様は「自分が最初に掲げた思想について、変化修正する事を躊躇わなかった」と言う事があげられます。
例えば釈尊は、最初のうちは「私の教えは、いにしえの仏が説いたことと同じだ。古道と同じだ。」と弟子達に話してしましたが、仏陀としての権威が立ってくると、古の神仏を立てることは言わなくなり、「自分の考えはこうである!」という言い方をする様になりました。
どんな賢人達も、最初は何者でもない無名の思想家ですので、昔の偉人達の言葉を借りながら、思想家としての立場を立てて行かなければならないのです。
しかし、ある時を境にしてからは、自分の思想を明確に打ち出していきます。
やはり、どんな賢人であっても、最初は自信が無いので、どんなに自分の考えに自信があっても、世の中に大きくは打ち出せないものなのです。
ですから、私達自身も、今はまだまだ自信が無いとしても、「いつかは自分の感影を打ち出していきたい。」想う心は持っていて良いように思います。
人生の後半であったとしても、これから成長して行けば良いのですから!