世の中は「陰と陽で出来ている」と言われますが、これはいわば「二元論」的発想です。
この世的に見れば、悪があれば善がある、光があれば影がある、水があれば火もある…
このように対極な存在が、この世の中を創っていると言う考え方です。
そう言った意味では、二元論は正しいでしょう。
しかし、光明思想では「影は光がない存在であり、悪は善が存在しない状態である。」と考えます。
確かに、影は光が無ければ出来ません。
そもそも善が無ければ、それに反する悪も無くなります。
こうした一元論的な考え方は、一見この世的な事象と矛盾している様に見える時もありますが、よくよく考えてみると一概に間違っているとも言えないことが分かります。
苦しくて、辛くて悲しい時に、「この世の中に辛いことはない。悲しみもない。あるのは、起きた出来事だけだ。最初から辛いと思わなければ辛さもなく、悲しいと思わなければ悲しみもない。」こうした考え方は、苦しみや悲しみの渦中の中にある人にとっては、救いになる時もあるのです。
「この世に病気なんかはない。健康な状態に戻ろうとする事象があるだけだ。」と言う考え方をしただけで、病が治ってしまった人がいたから、アメリカでも日本でも光明思想(ニューソート)が流行ったのでしょう。
しかし一元論も行き過ぎると、弊害が生まれます。
「あなたは病気と言うけれど、病気などはないのだ。」そんな極端な考え方に陥ると、「病院へ行けば治る病気なのに、治療に行かない」が為に命を落としてしまう事もあります。
要は、二元論や一元論にこだわらず「是々非々」で、その場その場で対応する「中道」が一番良いと私は思っています。