現代社会は、言論の自由に基づく権利の行使によって、権力者の首をすげ替える事ができる「永久革命」の社会ではありますが、「言論の質のチェックはどのようにするのか?」という問題は残っています。
言論機関の権力については、日本国憲法には何ら規定されていません。
「言論機関、報道機関はどれだけの権力が保障されているのか」ということについては、明記されていないが為に、今のところ無制限の状態になっています。
「真理という観点から見たときに、報道の姿勢や言論の方向は正しいのかどうか?」という事については野放し状態です。
教育は、そうした言論や学問の方向性の下に成り立っているので、人はその教育を受けて価値観が出来上がってきます。
その教育の中に何か間違いがあった場合は、見ている世の中はずいぶん変わったものになってくる事があります。
そうした変わった世の中になったとき、結果的にはその教育によって真理が弾圧される事もあります。
「教育の自由」「学問の自由」などがある様に見えながらも、一定の方向に誘導されている為に、真理が弾圧される事も有り得るわけです。
例えば、「坂本龍馬や西郷隆盛は逆賊だ」と教育で教え込めば、子ども達はその様に信じるでしょう。
また「第二次世界大戦下での日本国は、私たちの国を支配し、多くの民を苦しめたから、今の日本人に対して何をやっても許される。」という教育を、子供の頃から刷り込まれたその国の国民は、皆んな日本人に敵意を感じることでしょう。
その教育内容が例え間違っていても、真実の様に語られれば、一種の洗脳と同じ結果になるのです。